らくだの感想ブログ

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わんだふるぷりきゅあ!の戦闘スタイルについての考察

わんだふるぷりきゅあ!は本記事の執筆時点で第6話まで放送されている。ここまで見てきて気になっているのが、ガルガルとの戦闘(?)スタイルである。

プリキュアと言えば敵と殴って蹴っての肉弾戦をするのがお決まりであった。特に初代の「ふたりはプリキュア」はボロボロになりながらも立ち上がって戦うとか、武器を使わないとか、戦闘シーンにこだわった作品であった。

初代プロデューサーの鷲尾天氏も公式ホームページの作品紹介では以下のようにコメントしている。

女の子を主人公にしたヒーローもの、「ふたりはプリキュア」がついにスタート! 「ヒロインもの」ではなく「ヒーローもの」。ここがミソ。何よりこれまでのヒロインと違う点は武器や道具を一切使わないこと。これは珍しい。魔法の杖も不思議なブレスレットも持ってない。自分の手で、脚で、相手を追い詰めなければならない。これぞアクションの王道!

ふたりはプリキュア -作品解説-

徐々に武器も登場するようになったが、敵にとどめを刺すまでは肉弾戦を行うのが基本だった。

ちなみに過去には肉弾戦を封じると宣言されたシリーズもあった。ただ、やはり悪者が出てきてそれをプリキュアが攻撃して退けるというパターンは変わらなかった。

しかし今年のわんだふるぷりきゅあ!は第6話までの間に敵(ガルガル)を攻撃するシーンは一切無く、毎回ガルガルを抱きしめて撫でて浄化するという今までに無いパターンである。

ほんのり光りながらガルガルを抱きしめるシーン(第3話より)

本記事ではこのスタイルの問題点から、なぜこのようになったのかまで、ひたすら大した根拠も無い推測と妄想を垂れ流してみたい。

このスタイルの問題点

そもそも今のこのスタイルは、以下のような3つの問題点があると考えている。

物足りない感がある

今までのプリキュアを見てきた人たちからすると、プリキュアは戦ってなんぼであるし、物足りなさはどうしても感じてしまう。なるべく今までのことを忘れて客観的に考えてみても、毎回ヨシヨシしてふんわりと終わるのはなんだか演出として締りが無く感じる(大変主観的かつ推測の域を出ず申し訳ないが、少なくとも私はそう感じている)。

ワンパターンになりがち

これは戦わないことというよりは、相手が動物であるというところに起因することかもしれないが、相手が動物だと各話でストーリーが作りづらい。人間であれば、その人の生活や身の回りの出来事・人間関係などから各話のストーリーが作りやすい。これもプリキュアの醍醐味であると思う。しかし動物だと背景を描こうにも感情の動きや不安・葛藤などを描きづらいため「登場する → 不安がっている → なだめる」程度のことしかできず、どうしてもワンパターンになりがちである。(もちろんやりようはあるかもしれないが、あえてそこには力は入れていないと思われる。詳しくは後述する。)

プリキュアごっこができない

ふざけているかと思われるかもしれないが至って真面目である。むしろ中長期目線で考えると最も重要ではないかと思う。わんだふるぷりきゅあ!を5歳の娘と見ているという知人と話したところ「お父さんを敵役としたプリキュアごっこができない」と言っていた。つまり、戦いが無いことで家庭内での遊びに繋がらず、相対的に子供にとってプリキュアの存在感や楽しさが低下している(サンプル数は1であるが、実影響が出ているのは事実である)。

今はこむぎのお世話変身で遊ぶしかなさそうである(実際に知人は娘の誕生日にワンダフルパクトを買うと言っていた)。

これらが本当に問題となっているかどうかについて広く厳密な調査をしたわけではないが、少なくとも私や周囲の人はこう感じているのが事実である。

戦闘をしないことを選んだ理由は

ではなぜ戦闘をしないというスタイルになったのか?おそらく直接の理由は「動物だから」である。

今までのプリキュアの敵と言えば、日々の話で出てくるのは人の思念や物が敵の力で怪物に変化させられたものだった。この場合は殴ったり蹴ったりしてもそこまで罪悪感は無い。ただ今回は動物そのものである。動物を殴ったら世間から(および一部の団体から)猛抗議が来ることは容易に想像できる。さすがにリスクが高すぎる。

また追加の可能性として、動物との関係や愛情・友情というテーマと関連させたいから、ということも考えられる。つまり、抱きしめたり撫でたりするという行為自体がそういったテーマを表現する一要素となるため戦闘ではなくなだめるという選択をしたというものである。

ここまでは普通に想像できそうであるが、そうすると次に思うのはなぜそこまでして動物を敵に選んだのか?ということだ。動物をテーマにするからと言って動物を敵にする必要はない。今までのプリキュアでもメインテーマとなるものが必ずしも敵になることはなく、例えば動物自身や飼い主の人間などの心だったり、そこらへんにある物質を変身させたり、といったことはいくらでもやられてきた。なのに、なぜ戦闘ができないという制約を受け入れてまで動物を敵としたのか?

動物を敵に選んだ理由は

なぜ今年のプリキュアは動物を敵に選び、戦闘をしないというスタイルを選択したのか。その答えは「他に描きたいものがあるから」もっと言うと「メインキャラクター達のストーリーを描くため」ではないかと考えている。

今までのように人や動物の思念を怪物へと変化させるためには怪物化させるための敵幹部だったり元となる人や動物が変身させられるまでのストーリーを描く必要があり、そうするとどうしてもそのための尺を取られてしまう。各話のストーリー全体もゲストキャラクターのストーリーに引っ張られるし、敵の設定の説明だったり敵同士の会話だったりを入れる必要もある。そうすると自ずと他のことを描くための自由度がどんどんと狭まっていく。

つまり、メインキャラクター同士の関係性やキャラクター自身の魅力作りなどを優先して描くために、人間ではなく動物を敵にし、敵の組織や幹部を出さないようにした。その結果として戦闘シーンをなくすことになったのではないか、ということである。

実際、今年は第1話でこむぎの心情変化をかなり丁寧に描き、第2話はいろは、第3話は悟、第4話はまゆと進んだ後、第5話ではいろはとこむぎの過去の絆、第6〜7話ではこむぎといろはのケンカからさらに絆を深めるという、かなりの過密スケジュールでキャラクターごとおよびお互いの関係性を描ききっている。

しかも各話ともかなりクオリティは高いし、毎回必ず悟やまゆを登場させて丁寧にキャラクター性を見せるということまでしている。ものすごく手が込んでいる。

これを見せつけられると、これをやるためにあえて他を省いたのではないか?と思わずにはいられない。

今後もこのスタイルか?

個人的にはこのガルガルをよしよしして浄化するスタイルはある程度のところで終わるのではないかと予想している。

まず前述した問題がある。ワンパターンで物足りないのは回を追うごとに顕著に感じられるようになることは容易に想像できる。制作側もさすがにこれを続けることのリスクは感じているのではなかろうか。

さらに、以下のように今後これが変化する可能性が十分ありそうだと感じるポイントがある。

  • 戦わないシリーズであるということを大々的に宣伝していない
  • まだニコガーデンを襲った倒すべき敵となる組織やキャラクターが出てきていない
  • キラリンアニマルを集めるというミッションが1クールくらいで終わりそうなペースである

つまり、ここから考えられる1つの可能性として、1クール終わりごろにキラリンアニマルを集めきり、そこで敵組織が出てきて、殴っても問題ない怪物が相手となるようになる、という道筋が思い浮かぶ。

また1クールあればメインキャラクターの深堀りやお互いの関係性を深める回を一通りは終えることができ、そうすれば2クール目からは各キャラクターが視聴者に愛される状態を作り上げた上で進行できるのでとてもやりやすくなりそうである。

今作は新たな挑戦

妄想をダラダラと語ってしまったが仮にこれらがその通りだとすれば、今作は今までの伝統である「戦闘」を封印してキャラクターやストーリーを深めることに重点を置くという、今までにない挑戦をしているシリーズである。

戦闘が無くてつまらんとかワンパターンだとかそういう野暮なことはわざわざ言わずに(元々さほど気にしていないが)、この新たな挑戦がどのような結果になるのか、楽しみに見させてもらおうと思う。